カテゴリ: 幼馴染

ダークネスフェスティバル
中学生から20代まで、何かがあると私とマッサンはどちらからともなく声を掛け合って『闇の祭典』を執り行いました。お互いがお互いの目を見ることもなく、もちろん菓子などを食うこともなく、ただただ画面のぷよぷよを見つめながら、部活の愚痴や家庭の愚痴、学校の愚痴や先輩の愚痴などを言い合う狂宴です。対戦の勝敗などは関係なく、本当にただ鬱屈した思いを吐き出すための時間でしたが、あの時間は若いころの私たちには必要な時間だったと思います。ネーミングセンスの中二感は自分でも驚嘆しますが、同じ学校に身を置き、お互いの家庭環境を熟知していたからこそできた奇跡のような祭典でした。

デブ・ホリック
そう言えば私も以前、姪に太らせる妖精と呼ばれましたが、私もマッサンも幼少時代に何か、脂肪の神を祀るほこらでも荒らしてしまったのでしょうか。そうでないと二人して周囲を太らせるなんていうカルマを背負うことないと思うんですが…

ドラマティカルエッセンス
4コマ目はアレとしても、マッサンの気持ちはわかります。物語と違い、おそらく私たちの人生は死ぬときにすべての謎が解けたり問題が解決したりということはありません。何十年も嫁姑問題等が続く『渡る世間は鬼ばかり』でさえ、毎クールの最終回には鬼姑キミ(赤城春恵)が憑き物が落ちたかのように五月(ピン子)に優しく接したり謝ったりなどして一定の解決を見るのに、私たちの人生は何かしらの問題やわだかまりがいつだって降ってきて、生きれば生きるほど小さな『?』が心の中に澱のように溜まっていくのです。澱でどろどろになった心を『?』の答え合わせによって少しでも浄化したいという気持ちを、誰が否定できましょうか。

コミュ力お化け野郎
マッサンとは生まれた時から同じマンションに住み、小中高と同じ学校に通い、中高の部活も同じ吹奏楽部だったのですが、陰陽の如く性質が違うため特に人付き合いに雲泥の差が現れます。学生時代から連絡を取っているのがマッサンと他数名である私に対し、地元の友人と今でもメチャクチャ親交のあるマッサン。何で同じ環境で育ったのにここまで差がつくのでしょう。マッサンという光に照らされ、私の影はどんどん濃くなるのです(こういう発言がすでに陰キャっぽい)。

40歳の別れ
マッサンは地元に住んでいるのですが、私も別に遠くに住んでいるわけではなく、なんなら電車で4駅しか離れていないのですが、コロナの関係でなかなか会えない日が続いていました。こうやって久しぶりに会うと、長年友達でいてくれる人のありがたさが改めて身に沁みますね。これからはもう少し頻繁に遊びたいな。マッサンとの狂った思い出は枚挙に暇がないので、また過去の話を描くときにでも登場してもらいます。

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